よしりん十番勝負「国家再生会議」
公論サポーター東海支部・L.Kさんの
感想をご紹介します!
以下に感想を記させていただきます。
● 一番のハイライトは、上皇陛下の御在位時の御意を明かされたところでした。
漫画にするなら1ページ大の大ゴマでも足りず、見開きで描かないと表せないくらいの衝撃でした。
皇位継承論議において、これより優先されるべきものはありません。
天皇陛下にも、当然そのお気持ちは伝わっているはずです。
反論するなら、陛下に対して意見具申する覚悟で臨まなければなりません。
「極左」という言葉と併せて、最低限、その重さを藤井氏・施氏にはご理解いただきたいと切に願います。
● 藤井氏・施氏のご主張から学ぶべきところはありませんでした。
両氏とも「可能な限り男系、万策尽きたときに直系」というお立場ですが、
最終的に女系でもいいのなら、なぜいま男系にこだわる必要があるのでしょうか。
いわば「女系を認めてでも守りたい皇室の価値」を両氏も見出されているわけで、
その「守りたい価値」こそが天皇制の本当に大切なもの、なのではないのでしょうか。
歴然たる事実として、ゴリゴリの男系派である安倍政権が7年間も強権体制を築いていた間に、
旧宮家から皇室に入ってくださる方は1人も現れませんでした。
この状況を見て、今が「万策尽きた」状態だとは思わないのでしょうか。
側室制度を廃止した昭和天皇の代からわずか3世代で、男系男子は悠仁さましかおられなくなってしまいました。
その間、数多の女性皇族が苦しめられ、病に侵されました。
この現実を見て、
「旧宮家で数を増やしてもすぐに足りなくなる。その間女性も苦しめられ続ける。」
とは思わないのでしょうか。
当事者の方々がそう思うだろうとは、思わないのでしょうか。
両氏の論からは、皇室の方々はもちろん、旧宮家の方々の姿すら、まるで感じられませんでした。
「人」のことを考えず、理屈の世界に逃げ込んでいたところに、悪い意味で学者らしさが出ていました。
「仮に」「仮に」と仮定の話ばかり論じても、「人」を無視する限り現実に適用はできません。
仮に意味なし芳一です。
「人」に対する想像力を働かせて論を構築できるかどうかが、小林先生と両氏との決定的な違いだと感じました。
● 小林先生が「愛子さまが皇太子になった瞬間に爆発的なブームが起きます。」と仰ったこと。
私もその瞬間を心待ちにしていますし、
同時に「国家再生」の上でも大変重要な意味があると感じました。
1300年ぶりの女性皇太子。
長年人心を圧迫し続けた因習の打破。
その2つを伴っての「愛子皇太子」の誕生は、
令和フィーバーをはるかに越える歓喜をもって迎えられるでしょう。
その雰囲気の中で国家との一体感を感じ、国民として覚醒する者も現れるでしょう。
また、「愛子皇太子」実現に動いた政治家や言論・メディア人などは、その成功体験に自信を持ち、さらに公に尽くす意欲を持って動いてくれるでしょう。
このような流れで、私は「愛子皇太子」の実現が、国家再生に不可欠な「覚醒した国民」を増やすことに、非常に大きな効果をもたらすと期待しています。
● ご主張の内容はともかく、アウェイであることもご承知だっただろう上でご登壇していただき、「国家再生会議」を成立させていただいた両氏には、心より感謝申し上げます。
会議の直前に小林先生の秘話を知らされて、すぐに考えをアップデートさせることは、真剣に取り組んできた者であればこそ無理なことでしょう。
時間が経ち、会議の結論がどのように帰着するか、書籍化を楽しみにしております。
「理」だけ通ってたってダメだ、
「情」がなければ人は動かないから、
藤井氏、施氏にも情をかけろとか
言ってる人がいます。
誰も二人を非情にぶった切ってなど
いないと思うのですが、
「情」の話をするのであれば、
真っ先に考えなければならないのは、
天皇陛下、上皇陛下、そして愛子さまに対する、
民としての「情」じゃないでしょうか?
藤井さん、施さんは、
天皇・上皇両陛下、敬宮殿下と、
自称保守論壇男系村のどちらに、
より「情」を感じておられるのか?
そこが問われているのだと私は思います。